父を見て自分の原点を思う
- 2013年08月09日
- ブログ
大体週に1度は実家に行きます。
実家に行ったときは、
わたしが夕食の当番。
先日行ったときに
何が食べたいか聞いたら、
「さっぱりしたもの」
ここのところ、暑いですもんね。
そこで夕飯はおそうめんにしました
お薬味いろいろと
錦糸卵、
ナスの肉みそ炒め、
かぼちゃと鶏肉の煮物
と作って食卓に並べました。
いただきます!
となったところで、
父が鼻唄 を歌い始めた。
あら~
食べ方が分からなくて
緊張しちゃったんですね
父は、
自分がどうすればいいか分からない時とか
困った時に、
いかにもリラックスしてますよ~
という風に鼻唄をうたい始めます。
そういえば、我が家の食事って、
大皿で取り分ける形式の時は、
暗黙の了解で、
父がまず最初に箸をつけるまで、
みんな(といっても母とわたしだけだけど)
待ってるルールなの。
だから、父は最初に自分が
「正しく」食べ始めないといけない
と思ってるみたいなんですね。
どれがそうめんの上に乗せるべきもので、
どれが、お取り皿に取るべきおかずなのか、
父には判断が難しかったんでしょう
もちろん、「正しい」は別になくて、
ナスの肉みそ炒めもそうめんに乗せて美味しいし、
きゅうりやみょうがをそれ単体で食べたって、
なんにも問題はないんですけどね。
父としては、作った人が意図した通りに
「正しく」食べたいんだろうと思う。
そういう父を見ていると、
わたしの「~べきである」や「~ねばならない」は
ここが原点なんだろうなぁ、と思う。
銀河のマヤ暦的にも
同じ「黄色い人」を持ってるしね。
さて、こういう時の対処ですが。
こういう父なので、
「どう食べてもいいんだよ」
というと混乱が増すばかりなので、
「これとこれはそうめんに掛けてね。
これはこのお皿に取ってね」
と伝えます。
父は「うんうん、そうか」と答え
お皿に取ったものの、
まだ鼻唄は止まない
母とわたしが同じように
みょうがやきゅうりをそうめんに乗せ、
ナスの肉みそ炒めをお取り皿に取って食べ始めると、
やっと鼻唄が止みました
めでたし、めでたし
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